中村俊輔が、横浜F・マリノスの「新エース」天野純に対して発したひと言

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1: 名無しのなにがしさん\(^o^)/ 2018/09/25(火) 00:00:00.00 ID:000
“新旧エース対決”は、かつての”エース”が貫禄を示した。

Jリーグ第27節、ジュビロ磐田と横浜F・マリノスが激突。
同ゲームでは、F・マリノスの元エースであるジュビロの中村俊輔と、先日始動した新生・日本代表に招集され、F・マリノスの現エースである天野純との直接対決が注目された。

中村は、18歳のときにプロ生活をスタート。
3年目の1999年には「10番」を背負って、F・マリノスの中心選手になった。

その後、2002年には活躍の場を”世界”に移した。
海外の舞台でも輝かしい実績を残して、2010年に再びF・マリノスに戻ってきた。
南アフリカW杯を見据えての帰国だったが、同W杯では主役の座を奪われて、苦しい時間を過ごした。

普通の選手であれば、そこで選手生命が終わっていたかもしれない。
しかし、中村は違った。
苦しい状況のなかにあっても、そこからさらに成長する自らの姿をイメージし、トレーニングを重ねた。
その結果、Jリーグの舞台で再度輝きを取り戻した。

2013年には10得点を挙げるなどして、リーグ戦で優勝争いをするチームの躍進に貢献。
JリーグMVPを受賞し、天皇杯では圧倒的な存在感を示してチームを優勝へと導いた。

そして翌年、中村は再び「10番」を背負った。

「ミスター・マリノス」木村和司から、時代を越えて受け継がれてきた”エース”ナンバー。
中村は、何度となく挫折を味わいながらも、そのつど奮起して、その背番号にふさわしい選手へと今一度上り詰めたのである。

だが、2016年シーズン終了後、フロントの方針などに違和感を抱いて、F・マリノスを退団。
ジュビロに移籍して、そこでも「10番」を背負い、40歳となった今なお、中心選手としてプレーしている。
https://sportiva.shueisha.co.jp/clm/football/jleague_other/2018/09/25/___split_111/

一方、天野はF・マリノスの下部組織で育ち、順天堂大学を経て2014年にF・マリノス入り。
プロ4年目の昨季、攻撃の組み立て役として力を発揮し始めると、今季はチームに欠かせない中心選手となった。

中村ばりの精度の高いFKとパス、独特なゲームメイク術によって、アンジェ・ポステコグルー監督の目指す、多彩な攻撃サッカーの軸を担っている。

その活躍が評価されて、森保一監督が新たな指揮官となった日本代表に追加招集された。
27歳で初の代表メンバー入りを果たしたのである。

森保ジャパンの初陣となるコスタリカ戦では、ふたり目の交代選手として後半30分から途中出場した。
それは、追加招集ながら、トレーニングで自らの存在をアピールし、森保監督の信頼を勝ち得た証拠だった。

4-4-2でスタートした布陣は、天野がトップ下に入ることで4-2-3-1となった。
F・マリノスでインサイドハーフやトップ下などをこなしている天野は、慣れたポジションに入って、ボールを効果的に散らし、ボックス内にも積極的に入っていく動きを見せた。
そうして、トップ下を置くシステムが、チームのオプションとして使えることを示したのである。

「代表では、これまでに経験したことのないプレッシャーがあった。この中で戦ってきた選手たちは、本当にすごいなと思った。これからは(自分も)日本代表選手として見られることになるし、(チームでも)違ったプレッシャーを感じると思う。それは、今までなかったこと。でも、みんなそういうのを経験して強くなっていくので、(自分も)がんばっていきたい」

天野は、初代表での15分間の経験をそう振り返って、代表定着への意欲を見せた。
https://sportiva.shueisha.co.jp/clm/football/jleague_other/2018/09/25/___split_111/index_2.php

>>2に続く



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