
1: 名無しのなにがしさん\(^o^)/ 00:00:00.00 ID:000
たったひと言で、人生が変わったことがあるだろうか――。
湘南ベルマーレでプレーする梅崎司には、それがある。
思わず叫んだひと言が、自分の、さらには家族の運命をも変えた。
「おかん、もう、この家を出て行こうよ」
それは梅崎にとって、まだプロサッカー選手になることが夢でしかなかった中学3年生のときだった。
意を決して母親に発したひと言が、家族の未来を切り開いた。
「サッカーの指導者をしていた伯父さんの家に遊びに行ったとき、近所の子どもたちと一緒にボールを蹴ったのがきっかけです。 初めてだったからコテンパンにやられたんですけど、逆にそれで火がついたんでしょうね」
そう言って梅崎は笑う。
母・庭子さんに聞けば、懐かしそうに話してくれた。
(中略)
こうして梅崎はサッカーにのめり込んでいく。
しかし、父親からはずっと猛反対されていた。
梅崎が語る。
「物心ついたころから、ずっと父親には、自分がサッカーをすることを否定されていたんですよね。背が低かったので、『お前はすぐにつぶれる』と、ずっと言われ続けていたんです」
おまけに子どものころの梅崎は食が細く、それが原因で母親が父親にひどく責められている様子を目撃してきた。
むしろ、それだけならば、まだ、ましだったかもしれない。
父親は事あるごとに母親に暴力をふるってもいたのだ。
昨年自伝を出版し、自身の過去を明かした。
その理由を「誰かに勇気を与えられたら」と話す
DV――ドメスティック・バイオレンス。
今でこそ一般的に認知されている言葉だが、30年近くも前のことである。
言葉どころか、周囲の理解も浅ければ、行政のサポートも行き届いていない時代だった。
ましてや解決する方法や手段も含め、当時はあらゆることが遅れていたし、知られてもいなかった。
梅崎が苦い記憶を呼び覚ます。
「いつから気づいていたのかというのは、正確には覚えていないんですよね。たぶん、保育園のときには、何となく分かっていたと思います。 一番、脳裏に焼き付いているのは、お風呂場で、親父がおかんの髪の毛をつかんで、湯船に何度も何度も頭を沈めていた光景です。それはほんの一部で、暴力はもう日常茶飯事でした。僕は怖くて、ずっと隠れていました」
梅崎がそうした自分の過去を包み隠さず、さらけ出したのは1年前のことだ。
2017年12月に自伝となる『15歳 サッカーで生きると誓った日』(東邦出版)を上梓。
その理由を聞けば、「自分がそれをつづることで、誰かに勇気を与えられたら」と話してくれた。
だから、母・庭子さんも息子の思いに応えようと、今回の取材に応じてくれた。
庭子さんも言葉を絞り出してくれた。
「司のことで言えば、小さいのは私のせいだと言われ続けていました。『司が小さかとはワイが悪か!(司が小さいのはお前のせいだ!)』って。 だから、サッカーをやること自体に猛反対。なぜ月謝を払ってまでサッカーをやらせなければいけないのかって。
私に対する暴力は年々ひどくなっていきました。時には、帰ってきて、『おかえりなさい』と言っただけで、殴られたことも……。
司が小学生のころに一度、私が顔をぱんぱんに腫らしてサッカーの応援に行ったことがあったんです。 さすがにママ友に『どうしたの?』と聞かれたので、思い切って打ち明けたんですけど、 そのとき返ってきた言葉が『あんなにいい人が、そんなことをするはずはない。 私はあなたがウソをついていると思う』だったんです。それからは誰にも言わなくなりました」
それは文字にするのもはばかられる内容だった。
原因や理由という言葉すら使いたくないが、梅崎がサッカーをやっていることもそのひとつではあった。
なのになぜ、庭子さんは梅崎のサッカーを守り続けたのだろうか。
(一部抜粋、詳細・全文はこちら)
http://sports.yahoo.co.jp/column/detail/201811220002-spnavi
http://sports.yahoo.co.jp/column/detail/201811220003-spnavi
湘南ベルマーレでプレーする梅崎司には、それがある。
思わず叫んだひと言が、自分の、さらには家族の運命をも変えた。
「おかん、もう、この家を出て行こうよ」
それは梅崎にとって、まだプロサッカー選手になることが夢でしかなかった中学3年生のときだった。
意を決して母親に発したひと言が、家族の未来を切り開いた。
「サッカーの指導者をしていた伯父さんの家に遊びに行ったとき、近所の子どもたちと一緒にボールを蹴ったのがきっかけです。 初めてだったからコテンパンにやられたんですけど、逆にそれで火がついたんでしょうね」
そう言って梅崎は笑う。
母・庭子さんに聞けば、懐かしそうに話してくれた。
(中略)
こうして梅崎はサッカーにのめり込んでいく。
しかし、父親からはずっと猛反対されていた。
梅崎が語る。
「物心ついたころから、ずっと父親には、自分がサッカーをすることを否定されていたんですよね。背が低かったので、『お前はすぐにつぶれる』と、ずっと言われ続けていたんです」
おまけに子どものころの梅崎は食が細く、それが原因で母親が父親にひどく責められている様子を目撃してきた。
むしろ、それだけならば、まだ、ましだったかもしれない。
父親は事あるごとに母親に暴力をふるってもいたのだ。
昨年自伝を出版し、自身の過去を明かした。
その理由を「誰かに勇気を与えられたら」と話す
DV――ドメスティック・バイオレンス。
今でこそ一般的に認知されている言葉だが、30年近くも前のことである。
言葉どころか、周囲の理解も浅ければ、行政のサポートも行き届いていない時代だった。
ましてや解決する方法や手段も含め、当時はあらゆることが遅れていたし、知られてもいなかった。
梅崎が苦い記憶を呼び覚ます。
「いつから気づいていたのかというのは、正確には覚えていないんですよね。たぶん、保育園のときには、何となく分かっていたと思います。 一番、脳裏に焼き付いているのは、お風呂場で、親父がおかんの髪の毛をつかんで、湯船に何度も何度も頭を沈めていた光景です。それはほんの一部で、暴力はもう日常茶飯事でした。僕は怖くて、ずっと隠れていました」
梅崎がそうした自分の過去を包み隠さず、さらけ出したのは1年前のことだ。
2017年12月に自伝となる『15歳 サッカーで生きると誓った日』(東邦出版)を上梓。
その理由を聞けば、「自分がそれをつづることで、誰かに勇気を与えられたら」と話してくれた。
だから、母・庭子さんも息子の思いに応えようと、今回の取材に応じてくれた。
庭子さんも言葉を絞り出してくれた。
「司のことで言えば、小さいのは私のせいだと言われ続けていました。『司が小さかとはワイが悪か!(司が小さいのはお前のせいだ!)』って。 だから、サッカーをやること自体に猛反対。なぜ月謝を払ってまでサッカーをやらせなければいけないのかって。
私に対する暴力は年々ひどくなっていきました。時には、帰ってきて、『おかえりなさい』と言っただけで、殴られたことも……。
司が小学生のころに一度、私が顔をぱんぱんに腫らしてサッカーの応援に行ったことがあったんです。 さすがにママ友に『どうしたの?』と聞かれたので、思い切って打ち明けたんですけど、 そのとき返ってきた言葉が『あんなにいい人が、そんなことをするはずはない。 私はあなたがウソをついていると思う』だったんです。それからは誰にも言わなくなりました」
それは文字にするのもはばかられる内容だった。
原因や理由という言葉すら使いたくないが、梅崎がサッカーをやっていることもそのひとつではあった。
なのになぜ、庭子さんは梅崎のサッカーを守り続けたのだろうか。
(一部抜粋、詳細・全文はこちら)
http://sports.yahoo.co.jp/column/detail/201811220002-spnavi
http://sports.yahoo.co.jp/column/detail/201811220003-spnavi
11: 名無しさん@恐縮です 2018/11/28(水) 11:24:39.67 ID:E1LiM9V80.net
記事全部読んだけどきついな
10: 名無しさん@恐縮です 2018/11/28(水) 11:23:00.02 ID:y3iv8RG30.net
リア充っぽいやつだと思ってたのに、過去は結構壮絶なのね
15: 名無しさん@恐縮です 2018/11/28(水) 11:25:49.65 ID:df9tZlTC0.net
因みにスマホアプリで読める後半には
このあと梅崎が浦和入りしたあとオカンに暴言を浴びせ倒して
「別れたダンナと同じ臭いがする」と言われるという、DV親の子も同じようにDVするという
美味しんぼに出てきたエピソードそのままの展開が描かれています
反省しとるらしいが、同じように苦労した新翔さんとはいろいろ違うな、と
21: 名無しさん@恐縮です 2018/11/28(水) 11:28:40.23 ID:dQY4TZ8a0.net
>>15
梅崎それはあかんだろ
134: 名無しさん@恐縮です 2018/11/28(水) 12:07:44.40 ID:UOertt9A0.net
>>15
全文読んできたけど梅が怪我続きで母親に当り散らしまくったと自分で言って反省してる
暴力は振るってない
父親怖くて反抗期もなくサッカーだけやってきたから初めての反抗期だったんだろう
泣けた
選手生命終わる頃また次の困難が来るかもしれないけど乗り越えて欲しい
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