「伝統がここまで残っているのは鹿島くらい」。神様ジーコの存在、ACL準決勝に臨む常勝軍団【宮澤ミシェルの独り言】

元の記事へ移動

日本代表選出経験も持つ元Jリーガーで、現役引退後は解説者として活躍中の宮澤ミシェル氏の連載企画。第20回は、AFCチャンピオンズリーグ(ACL)準決勝に挑む鹿島アントラーズについて。伝統を継承する常勝軍団の真髄、夏に帰還したジーコの影響力とは。(語り手:宮澤ミシェル)

[名古屋]「すべてをリスペクト」。名古屋のジョーと、鹿島・ジーコTDとの接点

元の記事へ移動


 前節・G大阪戦で、来日初のハットトリックを達成した名古屋のジョー。次節、鹿島戦に向け、神様ジーコとの接点を語ってくれた。

 ジーコと言えばサッカー界のレジェンド中のレジェンド。「白いペレ」とも呼ばれ、ブラジル代表としてW杯3大会に出場。1981年の世界一のクラブを決めるトヨタカップではMVPを獲得した。今年7月には16年ぶりにテクニカルディレクターとして鹿島に復帰している。

 ジョーは「僕自身、生でジーコのプレーは見たことないけど、父からよく話を聞いていたし、ビデオで見てそのプレーの凄さに感心した。世界的にも有名で憧れの人」と言う。そんなジョーはジーコに対して常に尊敬の念を抱いている。

 ジョーの父・ダリオさんは、ブラジルの名門コリンチャンスの元選手。しかし生活のためにタクシー運転手に転身し息子たちにその夢を託した。やがてその夢は叶う。ジョーの5歳年上の兄ジェアンがコリンチャンスとプロ契約。ジョーにとってジェアンは模範となる兄だった。しかしその兄は2002年に交通事故で急逝してしまう。その時15歳のジョーは「自分がプロとなり、父や兄の夢を引き継ぐ」と決意をした。

 その直後に行われたのがU-15日本ブラジル友好カップ。若年層の育成が最も重要だと考えるジーコが、毎年リオデジャネイロで開いている大会で、当時は日本から3チーム、ブラジルの3チームが参加していた。兄を失い傷心のジョーもコリンチャンスユースのメンバーとして参加。大会得点王となりチームの優勝に貢献した。

「あの大会で日本のことを初めて知ったし、初めて日本人とボールを蹴り合った。その時僕はサッカー選手になりたいとすごく思っていたし、こういう人生でありたいと願っていた。ジーコにすごく貴重な経験をさせてもらった」と、ジョーは語る。

 その後ジョーはすぐにトップチームに昇格。持ち前の長身にテクニックを磨き、世界を舞台に戦うようになった。そして次節では、日本でジーコが心血を注ぐチームと対戦する。

「鹿島はブラジルでも良く知られている。ジーコがいたし、すごく楽しみな試合だよね。でも次はホームだし絶対に勝ちたい」

 ジーコと関わることがある時点ですごくうれしいと笑顔を見せるジョー。ジーコが主宰する大会で才能を開花させ世界的な選手となった。ジョーはいつもより丁寧に何度も次の言葉を語っていた。

「ジーコがサッカーに対して行ってくれたことすべてに、本当にリスペクトしている」

 憧れ以上の想いがそこにはあった。

 ちなみに、ジョーが出場したU-15日本ブラジル友好カップには、鹿島アントラーズも出場していた。その試合でジョーはゴールを決めたと言う。次節はもちろん、その再現を狙っている。

06年独大会。史上最強ジーコジャパンも…チーム作り失敗で惨敗。最悪の締めは検証丸投げ【日本代表W杯の記憶】

元の記事へ移動

日本代表は30日に行われるガーナ戦に向けた27人のメンバーを発表した。この27人からロシアワールドカップを戦う23人に絞り込むのが基本線となるが、西野朗監督はどのようにチームを作るのか。一定の成功と大きな失敗を繰り返してきた日本代表の過去から学ぶべきことは? 第2回は06年ドイツ大会。(取材・文:元川悦子)

幾度も苦境に陥ったドイツW杯予選。立ち上がったベテラン、「アブダビの夜」が転機に【アジア予選激闘史】

元の記事へ移動

日本がW杯に初出場したのは98年フランス大会。それまではアジアの壁を超えることができず、また連続出場できているものの、楽に勝ち抜けた時はない。W杯に出場するのは並大抵のことではないのだ。18年ロシアW杯へ向け大一番を迎える今だからこそ過去の激戦を振り返りたい。今回は2006年ドイツW杯予選。2002年の自国開催を経て2大会ぶりとなるW杯アジア予選に臨んだ日本代表は、幾度となく苦境に陥っていた。(取材・文:元川悦子)